田村圓澄「東アジアのなかの日本古代史」

田村圓澄の東アジアのなかの日本古代史を読みました。5〜7世紀の日本が何度も朝鮮半島に兵を送り、任那・百済にこだわり続けた理由が任那の鉄生産にあったのでは?という意見には大いに賛成です。私もこの時代の朝鮮半島への軍事関与には疑問を持っていましたので。

当時の日本では鉄生産の技術がまだまだ未熟だったから、鉄が輸入出来なくなる事は大和朝廷にとって大きな問題だったのではないかと思います。大伴金村の任那割譲などから考えてみても、土地の所有というよりも、任那の権益にこだわりがあったように私も思っています。また百済滅亡後、人的流入による技術の効率化により、日本で鉄生産が出来るようになると、それまでに比べて新羅・中国と国交を持たなくなる理由も、これが全てだとは思いませんが、鉄の国産化が一つの理由ではないかと思います。

聖徳太子の仏教(新羅系)と、蘇我氏の仏教(百済系)の違いは初めて知りました。
親新羅政策と反新羅政策が、この時代の政治方針に大きな影響を与えているという考え方にも賛成します。


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